我が愛猫
私は可愛いものが大の好物であり私の死にきった感受性を勇逸惹かせることができるなくてはならない存在である。
それは人間であれ動物であれ物であれ近くにあるだけで心癒される私の人生においてのマストアイテムであり生きがいであり、自分が可愛くないことへの報復かのように可愛いものをこよなく愛している。
かけがえのないもののような生きがい、希少価値に縋りつくのは人生において無駄なのかもしれない。私は少なからずそう思ってわいる。
そんな私の一番愛してやまない存在を紹介したい。
彼にはたくさんの愛を与えたくさんの時間を注ぎ愛した。
彼との出会いをこの記事に綴りろう。
それは私の愛猫ジャバ・ザ・ハットである。
購入者である母が命名したのだが彼の皮下脂肪魔獣とは似ても似つかない
可愛さである。ちなみに母も私もスタウォーズは見たことがない。
ジャバ・ザ・ハットは両目がオットアイのマンチカンで雄である。
世界で一番かわいいと少なくとも俺は思っている。
ジャバ・ザ・ハットとの出会いは高校二年生の秋、修学旅行の前日にジャバ・ザ・ハットはブリーダーから引き取られてきた。
予め猫の生活用品や餌、ゲージは早いときから半年前から用意してあり家族全員でジャバ・ザ・ハットのお迎えを待ち、ついにその時が来たのだ。
奈良の大仏の白毫並みに小さいジャバ・ザ・ハットはそのキュートボディーに合わぬでかいペットキャリーバックに運ばれてきた。
ペットキャリーバックから初めての我が家に恐る恐る歩き進む。
もう可愛い、一歩一歩が可愛い、顔が可愛い、何もかもが可愛い。
この子は死んでからもホルマリン漬けにして愛でてやろうとくらい考えてしまった。
家の隅々を可愛いあんよ歩きでうろついてジャバ・ザ・ハットだが、惨劇が起きてしまった。ジャバ・ザ・ハットは余生、これ以上の惨劇はないだろう。
倫理性にひどく欠け加齢臭漂う親父に抱っこされてしまったのだ。
ジャバ・ザ・ハットの初抱っこ相手が50過ぎたおっさんというだけでも
酷い惨劇だが
親父は「猫とはこうコミュニケーションをとるんだよ」と
ジャバ・ザ・ハットに顔を寄せ
ディープキスをした。
ジャバ・ザ・ハットの
ファーストキスが小汚い低所得親父
彼はこれから人間に飼われるというというのに
人間の酷く汚いエゴイズムを体感し悲憤慷慨しただろう。
悲劇と喜劇を目の当たりにした出会いであった。
これから時間が空いたら猫の写真掲げていきたい。
全人類がジャバ・ザ・ハットの写真を求めているだろうし。